Tetsu Stories

代表Interview

Tetsu Stories
あやせの工場から、人々のくらしに直結するものを届けたい
自分たちののものづくり技術が人に喜ばれるところを見たかった
どうしてBtoC(“Business to Consumer”企業から一般消費者へ直接販売するモデル)にチャレンジしようと思ったのですか?
BtoC向けの商品づくりを始めたのは2015年頃、ちょうど私が社長に就任したばかりの頃でした。
「何かやらなくちゃ」と思っている中で、まず考えたのが現場の職人たちのやりがいです。私たちが通常納品するものは、自動車部品や建築材料など、その大半が表舞台では見えにくいもの。BtoCは実際に使われている姿が見えるし、家族が街中で見かけるとか、感想なども聞こえてくるのがいいなと思いました。
良いモノを作れていたので、誰かに喜んでいただけることで従業員のモチベーションにつながると思ったのです。
さまざまな鉄製品がある中で、なぜ、鉄鍋になったのですか?
第1作目のTetsu Nabeはパエリア鍋のように思われがちですが、実は原点はすき焼き鍋なんです。
きっかけは綾瀬のまちづくり活動にあって、地元・綾瀬市の名物グルメ「とんすき」を、美味しく食べてもらうために鉄鍋を作り始めました。
綾瀬市では10年ほど前から、ロケ誘致を積極的に展開していて、私もその活動に参加していました。ロケ弁として「とんすきを食べてもらいたい」という意見が出たことから、ナウ産業の鉄加工技術で鉄鍋を作ってみることになりました。
そしてタイミングよく、綾瀬市で企業のBtoC開発セミナーが開かれ、そこにアッシュコンセプトの名児耶代表が講師として来てくださっていて、本気で良い鉄鍋を作ってみようという共同開発が始まりました。
僅かな変色や梱包の向き違いさえも「NG」、異世界の販売に参入
初めてのBtoCで、苦労したことはありましたか?
最初の頃はコミュニケーションひとつでもつまづきました。そもそもメールばかりのやり取りも慣れていなかったし、例えば「上代(売価)」のように、初めて出てくる名詞も多かった。
試作も何回もしましたし、ボツになったアイデアもたくさんあって、いちばん最初のTetsuNabeができるまでに3年かかりました。
ただ、その時間の中で、大学と連携して製品の良さを証明できる研究・検査データを集めたり、共通言語が限りなく少ないデザイナーさんたちと会話を重ねて理解を深めたりできました。右も左もわからなかったところから、「どうしたい」「こうしたらどうか」という意見が言えるようになって、会社としても成長できたと思います。
どのようにして、商品開発やデザインの理解を深められたのですか?
ずばり、飲み会ですね(笑)。始めたばかりの頃は、会議で消化しきれなかったことや、小さな疑問がちょっとずつ溜まっていて、小さなフラストレーションが蓄積されていたんですね。
「ちりも積もれば」で、溝が深まっているように感じ、これは良くないと思って、アッシュコンセプトさんに「定例会議の日は飲み会を開いて欲しい」ってお願いしたんです。
綾瀬の製造業者にとっていちばん手っ取り早かったのが飲み会ですから。
効果は絶大でしたね。
やっぱりお互いの信頼関係も築かれたと思うし、なぜそうしたいかの事由とか、なんとなく考えていることを汲み取れるようになれたと思います。
同業他社、レシピ開発、新しいご縁がたくさん生まれた
最初のTetsuNabe発売から3年経ち、今どんなことを思いますか?
いろんな人にTetsuシリーズを育てていただけて、本業だけでは出会えなかったたくさんのご縁をいただいたと思っています。
そもそも鉄鍋を窒化するアイデアをくれたのも工業団地の仲間だったし、研究会のメンバーも私たちにはない目線を持っている。
取引先の方が他製品との差別化のためにどんな見せ方をしたらいいか提案してくれたり、展示会で出会った同業他社の方と情報交換したり、ママ団体がTetsuを使ったレシピブログを作ってくれたりもしています。
みんなでTetsuシリーズを育てていけることがありがたいですね。
これからのTetsuの展望を聞かせてください。
ある程度ラインナップも整ってきたので、ここからはもっと多くの方にファンになってもらえるよう、販促の方も頑張っていきたいです。